「わかる」ということ(3)
法をイメージでとらえる!?
さて「わかる」とはどういうことか、をテーマにして引き続き書いていきます。
前回(2019年6月27日の記事)の内容から、法を学ぶときにイメージを大事にするって大事だなということが少しは伝わったのではないかと思います。
もちろん、今後もこの視点を常に意識してブログを書いていきますので、「何のことかよくわからなかった・・・」という方も、根気よく読み続けていただけることを祈ります。
さて、ここで言うイメージするというのは、条文等から得られる文字情報をその字面としてのイメージにとどまらず、もっと立体的な映像に昇華させることを指しています。
例えば「損害」という文言を読んだとき、何をイメージしますか?
「『損害』・・・ふーん・・・」程度の意識で勉強していると、必ず試験で失敗します。
特に初見の問題では、脳内の情報と問題文中の事実とのリンクができにくく、拾い上げるべき損害を見落とします。
「損害」と聞いたら心が痛い(精神的損害という言い方しますね)とか、お金を失った(経済的損害という言い方しますね)とかいうリアルなイメージを自分なりに持ちながら、勉強を進めた方がいいです。
言ってみれば、感覚とか直感に覚えこませるわけですが、この感性みたいなものは、法律家(合格者)と受験生との間で一番差が生じる能力のような気がします。
法律家としての資質にかかわる問題だと言っても過言でない気がします。
少なくとも、私自身様々な法律家と話をする中で、そう感じています。
感性のお話はまた後日致しましょう。
さて、少々脱線しましたが、これはいわゆる「法律要件」の話です。
法律要件には、各要件が具体的にどんな場合を想定しているのかというイメージが必ず存在します。
そして、法(条文)を適用する場合には、この要件に具体的な事実があてはまるかどうかがポイントになるわけですが、実際に法律家が行うのは、法律要件と具体的な事実との一致を言葉で説明することです。
言葉で説明することは、まさに言葉を発する人の脳内にあるイメージを文字で表現するという作業です(ここでは、上記の一致しているというイメージを表現することを指します)。
ですから、法を使えるようになろうと思ったら、法のイメージをできる限りリアルにイメージできるようになることが初めの一歩です。
それがなければ、法を適切に適用することも、適用した結果を言葉で説明することもできません。
一方、そのイメージがあれば、初見の事実関係に関する解答を求められても、知らない論点でも、自分の脳内に自然と現れる法適用のイメージを言葉で表現することで対応できるようになります。
法が「わかる」というのは、こういう状態を言うのだと思っています。
なお、過去記事で理論構造の明確さについて書きましたが、法律要件をイメージするということと密接にかかわります。
ご興味があれば、ぜひ合わせて読んでいただければと思います。