法を学ぶ過程での反省(2)
論点学習の効用
前回(2019年6月24日の記事)では、法学の基礎基本の話として、法的三段論法の大事さを書いてみました。
今回は、私が感じる法を学ぶことの面白さの二つ目、想像力をたくさん使うという点から法学の基礎基本について書いてみたいと思います。
さて、突然ですが、基本書とかに掲載されている論点に関する学者の見解を淡々と読む作業って、結構だるくないですか。
私は、結構嫌いです。
法学を学ぶ上では、避けて通れないことだとは思いますが、基本的に楽しい作業ではないと思います(個人差はあるでしょうが・・・)。
ですが、私もそれを楽しくやっているときがないわけではないのです。
例えば、その論点を解決することが自分が解いている問題の解決に不可欠なときとか、その論点についてある程度理解が進んできて、自分なりの疑問を抱えているときです。
つまり、その論点について、自分の頭の中に具体的なイメージが芽生えているときは、
その問題に対するいろんな見解の対立に興味を持つことができると思うのです。
ここまで書いただけで、すでに想像力って大事だなと思いませんか。
論点学習の効用は、この想像力の養成にあると思うのです。
もちろん、論点学習を通じて法的知識を得ることも大事だとは思います。
ですが、いざ弁護士や検察官、裁判官になったとき、基本書に載っていない論点には手も足も出ない、ではお話になりませんよね。
もちろん、予備試験・司法試験の問題として基本書等に載っていない未知の論点が出題されることもあります。
したがって、論点学習を通じて学んだことがある論点に対して、きちんとした理論構造をもって解決の道筋をつけることができるようになることは、当然のこととしても、それで満足していてはいけないのです。
また、何度勉強しても論点の細かい知識は、忘れてしまうものです(絶対忘れます)。
そんな時、覚えていないから解けない(ちんぷんかんぷんになってしまう)ようでは、予備試験・司法試験の合格は望めません。
私の感覚ですが、多くの予備試験・司法試験の合格者が、幅広い論点について正確な知識を有しているわけではありません。
その論点に対する断片的な記憶、例えば、条文のどの文言の問題か、どのような法的利益の対立があるのかといった点の記憶を頼りに、法的三段論法に当てはめてとりあえず、論理的に一貫した論述をしている合格者も少なくありません(もちろん、すべての論点についてこのような状態にあるわけではないでしょうが・・・。ちなみに、私はどの論点もだいたいこんな感じで解いていました)。
知らない論点でも何とか合格レベルに持っていける論述力の養成、これは、日々に論点学習を通じて磨かれるものだと思います。
「論点を勉強して論証を暗記する」という大学受験的なつまらない勉強は、もうやめにしませんか。
私自身、乏しい記憶力にも関わらず、「論点の知識を正確に記憶しなければ」という強迫観念にとらわれ、楽しくもなく、成績が向上することもない不毛な日々を過ごしていたことは、大きな反省です。
身に着けられること・身に着けるべきことは、人それぞれ違います。
よくよく自分自身を分析し、何をどう学び、合格までの距離を縮めるかは、大事な視点だと思います。
周りに流されず、固定観念にとらわれないように。