法への興味(2)
法の何が面白い?
長く時につらい受験勉強を続けていくためには、法を学ぶこと自体を楽しむことが大事。これが、前回の小括です。
今回は、極めて個人的な意見で恐縮ですが、私の感じる法の面白さを書きたいと思います。
まず一つ目は、ジグソーパズルのような面白さがあることです。
法を使うときは、当たり前ですが、法的三段論法に沿って主張を展開します。
そのため、完成した主張は、必ず完成したジグソーパズルのように美しい構造をしています。
仮に美しい構造でなければ、それは論理の矛盾や飛躍、法に対する理解の誤りなど、何かしらの問題を抱えていることになります。
完成したジグソーパズルを見ると何か興奮しませんか?
ましてや自分の手で一つ一つのピースをはめ込んだのであれば、完成させた達成感は格別です。
これと同じで法を学んでいるときは、誰かが考えた法理論(誰かが完成させたジクソーパズル)を見たり、自分が法的主張(自分で作るジクソーパズル)を完成させたりという作業の繰り返しのため、いちいち興奮してしまうんですよね(実際、何だこの法理論はよくわからんなー。と興味を持てないものもありますが・・・)。
二つ目は、たくさんたくさん想像力を働かせられるところです。
法は、何かしらの法的利益や権利を守ったり、それらを行使したりするための道具として存在しているわけです。
そのため、法を使うためには、目に見えない法的利益や権利の存在を常に想像しながら
思考をめぐらすことが不可欠です。
この作業を繰り返していくと、それまで全く気づきもしなかった法的利益がだんだん見えるようになるんですよね。
事例の中に出てくるXさんとYさんがどんな紛争を抱えていて、それぞれどんな法的利益を有していて、その紛争を解決するためには(それぞれの利益を折衷させるためには)どういう判断基準を立てて、結論を導いていくべきなのか、イメージできるようになります。
これは、法的問題の解決力の向上にとどまりません。
日々生活する中で起きる事象に対する視点の多角さや分析力の精緻さが増していきます。
それまで気づかなかった点に気づけるようになるため、驚きや発見が満ちていきます。
法を学ぶことって、実は、法的知識を得ることにとどまらない大きな可能性を秘めていると感じます。
私が感じる法を学ぶことの面白さは、大きくこの2点です。
単純に知識を得ることを楽しいと感じる人もいるのかもしれませんが、そもそも、勉強嫌いの私は、教科書をコツコツ通読するような優等生的勉強ができません。
たくさんの知識を脳に詰め込む単純作業に耐えられません。
もっぱら、問題演習を行い、その都度必要な知識(戦うための武器)を仕入れていく程度です。