予備試験に合格した私だから伝えられる!法学の基礎基本!

予備試験・司法試験の合格を目指していた私が法学の基礎基本とは何か…ということに悩み苦しんだ結果、たどり着いた答えを書き綴っていきたいと思います!難しい論点を解説しようとはしていません。法律の資格試験に合格するのに必要なことは法学の基礎基本を見極め、理解することだけです!

令和2年公法系第一問の採点実感を読んでみた~その2~ 合格戦略の見直し

「当たり前のことしか言ってない」ことに気付く

 

令和2年司法試験の採点実感(公法系科目第1問)

 

(中略)→その1へ

 

 

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(赤字は筆者コメント)

第2 規制①について

1 職業の自由について

⑴ 職業の自由の意義及び特性や,規制①が職業「選択」と職業「遂行」のどちらに関わる問題なのかを明確に論じていない答案が一定数見られた。

→条文には職業「選択」のことしか書いていないことにどれだけの受験生が自覚的なのか、非常に気になっているところである。明文上、職業「選択」の自由があることは明らかであるが、職業「遂行」の自由があることは明らかでない。だから、職業遂行の自由について検討したいなら、条文を解釈してその自由を導く必要がある。他方で職業「選択」の自由について検討したいならそこまでする必要はないが、職業「選択」の自由に関わる問題を検討すると一言でも言及することは、必須である。いわば条文適用のための要件を検討するのと同じだからである。

ここでの問題を軽視する答案は、法学の基本姿勢を軽視していると言わざるを得ない。経験上、そのような答案は、後の論述もパッとしない。当たり前のことを当たり前にできる答案が、結局は輝くのである。能力というより意識の差が大きいように思うし、意識の差が学習の蓄積による実力差につながっていると思う。

 

⑵ 職業の自由の社会的相互関連性が(規制を必要とする理由ではなく)権利の重要性の論拠として説明されるもの,営業の自由を(人格的価値があるというにとどまらず)精神的自由そのものとして説明するもの等,概念や判例の論理を表層的にしか理解していない,あるいは,キーワードを脈絡なくつないでいるような,問題のある答案も見られた。

→ここで言われているのは、短答過去問をしっかり検討していれば自ずと身に付くであろう知識すら身についていないという話である。大切なことは、教科書に書いてある難しい学説・判例ではない。誰でも知っている(はずの)キーワードを間違うことなく使えることである。間違いさえ書かずに済むなら、理解が「表層的」と言われようが、答案作成上大きな問題は生じない。

 

判例への言及について

⑴ 関連する判例に言及しつつ論ずるべきことは問題文の要求でもあるところ,全く判例に言及しないまま論述を進める答案が少なからずあった。一般論としても,法曹を目指す者が関連する判例を無視して議論を展開することは許されないであろう。まして,本設問のように当然言及してしかるべき関連判例が存在する事案については,当該判例を明示し,その論旨を踏まえて自らの見解を示すことは必須である。(下線部は筆者)

→問題文が判例に言及せよと要求している以上、それに従わないことはあり得ない。「問いに答えさせること」が試験の本旨であり、受験生としては、その本旨に従った振る舞いを求められているからである。もっとも、答えるべき判例がわからないのであれば、「全く判例に言及しない」こともやむを得ないと思う。絶対にやっていけないことは、全く的外れな判例を取り上げて、延々それを論じ続けることである。減点に減点を重ねるだけだからである。明らかに間違っていることをさも正しいことであるかのように論じてしまう者は、「正義」を実現すべき法律家としての資質に疑いを持たれても仕方ない。正しさを論ずる大前提として、「間違ったことを言わない」ということは常に意識してほしい。時に「沈黙は金なり」である。

判例は、判例「法」であるという意識を持つべきである。すなわち、判例も条文と同様に法律問題解決のための道具として使われるべき存在なのである。条文だけでは導ききれない解決基準を示す判例「法」の存在意義について、今一度噛み締める必要があると思う。「判例だから」理解し覚えるのではなく、「法律問題解決に必要だから」理解し覚えるのである。無論、受験生が問われているのは、法律問題を解決に導く基礎が身についているかである。

 

⑵ 判例を引いている場合でも,その内容の理解が不正確な答案が散見された。確かに薬事法事件判決は,具体的規制措置の憲法第22条第1項適合性の判断については,規制の目的・必要性,制限される職業の自由の性質・内容等の程度を検討し,これらを比較衡量した上で決定されなければならないと述べている。しかし,判例は,このような比較衡量と検討は第一次的には立法府の権限と責務であるとし,立法府の裁量の行使を前提として判断を下しているのであって,その点を無視して直ちに比較衡量で判断することを判例の趣旨であるかのように説くのは適切ではない。

→「判例の理解が不正確である」という指摘は、多くの受験生にあてはまる問題である。これは、判例を理解し、記憶することが容易でないことから当然である。判例学習の大切さは認識すべきであるが、その難しさは想像を絶するものであるから、あまり深刻に考える必要はないと思う。「判例を学ばなければ」と過度な重圧に苦しみ、法律学習が楽しいものでなくなってしまっては元も子もない。むしろ、法学の基礎基本に立ち返って、判例の分析法(学びの視点や整理の方法)を知ってもらいたいと思う。私の経験上、「判例の不理解」は、勉強不足以上に、学び方の間違いに起因するものだと思う。

 

⑶ 審査基準を検討するに当たっては,小売市場事件判決が積極目的規制について立法府の広い裁量を認めていることに留意する必要がある。その際,積極目的・消極目的の二分論に従わないのであれば,そのための論証が必要であろう。一方,この目的二分論に従う場合にも,二分論を採らなかった判例や学説における二分論の機械的適用に対する批判を考慮することが望ましい。

→目的二分論の話は、司法試験で何度も繰り返し出題されているテーマである。過去問分析をしたことがある受験生なら、当然何度も繰り返し学んだはずであり、それなりに書けると予想される。それでもまた出題されている。そのことの意味を考えてもらいたい。出題者は、受験生が目的二分論を知っているか否かを聞きたいのではないのであろう。受験生なりの「使い方」を見たいのである。なぜなら、法という道具を使いこなせるか否かが、法律家としての実力だからである。普段の学習から「法を使う」という意識を明確に持てているか。それが、答案の「行間」に如実に現れる。

 

(続きは後日)

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