下剋上勉強法(3)
予備試験に合格するために何をするか?
前回は、予備試験に合格するために何をしないようにするか、というポイントでブログを書きました。
昔から「蛇足」とか、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とか言いますが、予備試験・司法試験においても当てはまることだなと思います。
「合格に必要なこと」という要所を抑えて、そこを全力でつつくことが大事だと思いますね。
ただ、目標に向かって突き進もうという高いモチベーションがあればあるほど、「やらない」という選択をするのは、勇気がいる行動です。
また、「合格に必要なこと」というのは、人それぞれの知識量や能力、性格などに応じて様々ですから、一概には言えない難しさがあります。
自分自身が主体となっていかにして予備試験・司法試験を制するか、前回のブログがそのことをしっかりと考えていただく端緒になれば、幸いでございます。
さて、今回からは、予備試験・司法試験に合格するために何をするか、というポイントでブログを書きたいと思います。
上記の通り、予備試験・司法試験の合格にはやらなくてもいいことというものが確かに存在すると思っています。
が、これから書くことは、予備試験・司法試験の受験生のうち100%の受験生がやらなければならないことだと思います。
これを避けては通れない、逆に言えば、私はこれさえやれるようになれば、合格できるのではないかと信じて予備試験合格に至る最後の1年を過ごしていました。
早速見ていきましょう。
といっても、一つしかありません。
それは、「法を道具として理解し、使いこなせるようになること」です。
予備試験・司法試験に合格しない受験生の多くは、本当にこの点の意識が希薄だなと思います。
例えば、判例を読むときどう読んでいますか?
どういった事案で、当事者がどんな法的主張をして、裁判所はどんな規範で判断して、結論はどうだったか、という点を読解して暗記して終わっていませんか?
私が受けてきた法学教育は、まさにこんな感じでした。
インプット教育としては、間違っていないと思いますし、実際にこうした勉強もある程度は必要であると思います。
ですが、法は、問題解決のための道具です(以下、参照)。
道具は、使えなきゃ意味がないんです。
逆に正しく使えれば、法は生かされますし、法を生かしていくのが、法律家の仕事だと思いますから、それでいいわけです。
法を使ってみた結果、判例と異なる結論になったとか、学説として挙がっていない論旨になったとしても、それはそれでいいと思うのです。
判例は裁判所の見解、学説は研究者の見解、自説は自説、それぞれ自分の考え方があっても全然おかしくないですよね?
正しく法を使った結果なら、オールOKです。
見解の不一致にどう対処するかは、さらに先の話、私的には応用の話です。
少々長くなってしまいました。
続きは、次回。