法を使うにはマクロな視点も必要 正義公平の理念
予備試験・司法試験にはあまり関係ないかもしれませんが・・・
今回のテーマは、予備試験・司法試験の対策としてはこれまでのテーマより重要性が落ちるかもしれません。
ですが、無論、重要な視点です。
正義公平を図るという視点です。
正義公平の意義は、考えれば考えるほど難しいテーマですが、法的紛争を解決するという法の役割を探求した時、最後に行きつくのは、「正義公平」という視点だと思います。
ここでいう「正義公平」は、自分にとっての「正義公平」では不十分です。
この世に生きる誰かにとっての「正義公平」であっても不十分です。
日本において法を適用するのであれば、少なくとも日本に生きるすべての人にとって「正義公平」であることを目指さなければなりません。
立場を超えて誰もが納得できる理屈で、誰もが納得できる結論を導くよう努力することが大切だと思います。
予備試験・司法試験の合格にはたくさんの問題演習が不可欠ですが、具体的な事案に集中すればするほど、えてして視野が狭くなりがちです。
「具体的な論述をすることが大切」だとしても、その場面でしか使えない規範を立てることは、法律家としてのバランス感覚に欠けます。
事案の特殊性に配慮することも必要ですが、事案から浮かび上がる法的利益をどう保護するかという点について、他の事案とのバランスをとった解決が求められます。
同じ法的利益は、同じだけの価値があるはずだからです。
事案の特殊性への配慮は、その価値を前提としたうえでなされるべきものです。
「表現の自由」(憲法第21条第1項)が重要な価値を有すると知りつつも、問題文の誘導に沿って安易に違憲審査基準を緩やかにしてしまっていませんか?
「表現の自由」だから厳格な基準という短絡的な発想もいただけませんが、違憲審査基準を緩やかにすることにも慎重さが求められます。
それは、当該事案において「表現の自由」の価値を保護することが当該事案以外の当事者の利益保護につながるからです。
これがマクロな視点です。
もちろん、憲法以外の科目でもマクロな視点で「正義公平」の理念を追求することは不可欠です。
刑法の答案であれほど厳格に規範を立てて当てはめるという書き方を求められるのは、その適用態様にAさんとBさんで違いがあれば、そこに看過できない著しい「不正義不公平」が生じるからです。
ミクロな視点とマクロな視点を組み合わせながら、問題と対峙することは、とても難しいことですが、これは、法を通じて人の人生に携わる者として避けては通れないことでしょう。
めんどくさいと投げ出さずにじっくり腰を据えて取り組んでいきましょう!!