令和2年刑事系第二問の採点実感を読んでみた~その4~ 間違いの原因
間違える原因はいつもその一歩前にある
法律学習でやりがちな間違いは、間違えた原因を認識しないまま学習を積み重ねてしまうことにあります。
「規範をおぼえていなかった」「あてはめでミスした」原因は、思っている以上に基礎的な部分に問題があることが多いです。
一事が万事です。
一つのミスの原因を正確に認識することは、飛躍へのきっかけになります。
(赤い字は筆者)
〔設問1〕においては,任意同行後の被疑者の任意取調べの適法性が問われているのであるから,刑事訴訟法第198条に基づく任意捜査の一環としての被疑者の取調べがいかなる限度で許されるのかについて,その法的判断の枠組みを示す必要がある。多くの答案は,昭和59年判例の,第一に,「強制手段によることができ」ず,第二に,強制手段を用いない場合でも,「事案の性質,被疑者に対する容疑の程度,被疑者の態度等諸般の事情を勘案して,社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において,許容される」という二段階の判断枠組みを意識しつつ,事例に現れた具体的事情を拾い上げて上記判断枠組みに従い相応に当てはめて結論を導いていた。
→添削していて思うのは、いわゆる「書けている答案」でも、書けているから終わりではもったいないということである。「書けている答案」でも異なる事実評価や異なる視点からの論述の可能性等を探ることによって、更に論述の幅があることを知ることが出来る。将棋で言う「感想戦」みたいなものだろうか。「合格答案と同じように書けた」だけで満足してしまうのは、もったいない。もう一歩踏み込んで深く検討する姿勢が真の実力につながると思う。
しかしながら,本件取調べが実定法上のいかなる規定との関係で問題になるのかをおよそ意識していない答案が散見されたほか,昭和59年判例の判断枠組みに全く言及することなく,問題文の事情を漫然と羅列して結論を出している答案や,最決昭和51年3月16日刑集30巻2号187頁(以下「昭和51年判例」という。)が判示する,「必要性,緊急性なども考慮したうえ,具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容される」との判断基準を何の説明もなく用いる答案が少なからず見受けられた。立場によっては,昭和51年判例の示す判断基準を用いるとの判断もあり得るであろうが,昭和59年判例は,任意同行後の被疑者に対する任意取調べの限界に関する事案であるのに対し,昭和51年判例は,警察官が,任意同行した被疑者に対して呼気検査に応じるよう説得していた際に,退室しようとした被疑者の左手首をつかんで引き止める,という有形力の行使が問題となった事案であって,判例の判断基準を用いるに当たっては,それぞれの判例において判断の前提となっている事案が異なることや,当該判断基準を任意取調べの場面において適用することの理論的根拠をも意識する必要がある。
→実定法上のいかなる規定との関係で問題になるのかおよそ意識していない答案は、論外である。条文から考えるのは、法学の基本中の基本だからである。また、昭和59年判例と昭和51年判例との相互関係は、条文におけるそれと同様に考えられる。例えば、逮捕について199条と212条を区別することなく適用しようとするだろうか。しないはずである。それぞれその適用対象を異にするからである。判例も同様に考えるべきである。「判例は、具体的事実関係との関連を踏まえて学ばなければならない」などと言われるが、それは、条文と同じように考えなければならないということである。「判例『法』」であることを意識すべきである。
また,下線部①の取調べが強制処分に当たるのかを検討するに当たり,「相手方の明示又は黙示の意思(ないし合理的に推認される意思)に反して」「重要な権利・利益を実質的に制約する処分」かどうかという有力な学説の示す定義を用いて検討しながら,甲が取調べに応じる旨明示的に述べており,取調べを拒否する申出をしていないので甲の意思に反しないと安易に結論付け,甲の黙示の意思(ないし合理的に推認される意思)に全く言及しない答案や,長時間にわたり徹夜で,更に偽計をも用いて行われた本件取調べが甲のいかなる権利・利益を制約するのか(あるいはしないのか)についての検討が不十分な答案が少なからず見受けられた。
→検討が不十分であった点について「自覚的」であったか「無自覚的」であったかが問題である。言うまでもなく、刑訴法は、書かなければいけない分量が多い。意図的に不十分な論述にとどめ、他の論点に紙幅を割くことも戦略である。
さらに,強制処分該当性の検討に際して,下線部①の取調べが「実質逮捕」に当たるかと問題提起し,実質逮捕に当たり刑事訴訟法第199条や令状主義に違反することのみを指摘して違法と結論付ける答案が相当数見受けられたが,任意同行が実質的な逮捕であるとすると,そのことと刑事訴訟法第197条や取調べに対する規律である同法第198条との関係,すなわち,実質逮捕と取調べの適否との関連に言及せず,本件の取調べのために用いられた具体的な方法に対する問題意識を欠いている答案が多く見られた。
→「下線部①の取調べの適法性」について答えなければならない。設問でその点を問われているからである。知識がなかったというより、そもそも問いに答えるという意識が低いのではないか。
本件取調べが社会通念上相当と認められるかを判断する場面については,検討に際して,長時間の取調べの適法性,徹夜の取調べの適法性,偽計を用いた取調べの適法性というように,事例に現れた事情を分断した上で,その事情ごとに個別に検討を加えるだけで,総合的な分析・考慮のできていない答案が少なからず見受けられたが,本問では,通常は人が就寝している時間帯を含む約24時間という長時間にわたる取調べが徹夜で行われ,その中で疲労して言葉数が少なくなっていた甲に偽計が用いられているのであるから,そうした具体的事情があいまって生じた状態について多角的・総合的に分析・考慮する視点が必要であろう。また,昭和59年判例が判示した取調べの適法性に関する,「事案の性質,被疑者に対する容疑の程度,被疑者の態度等諸般の事情を勘案して,社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において,許容される」との基準やそこで考慮すべき要素を基礎付ける理論的な説明については,学説上,いわゆる比較衡量説や行為規範説などの見解が示されているが,この点について意識的かつ正確に論じている答案は少数であり,比較衡量説に立っていると思われるのに,取調べの必要性と比較衡量される甲の権利・利益等への言及が不十分・不正確な答案,両説の発想が不正確に混在している答案などが見られた。
→何が問われているのか、問いに対する判断基準はどうしたのか、を意識していない論述が上記のような答案だと思う。「下線部①の取調べの適法性」を問われているのになぜ論点的に事例を分断するのか。比較衡量をすると規範を立てたのであれば、それにそって論述を進めなければならない。「問いの把握」「規範の定立」「あてはめ」等を何となくやってしまっている答案が目立つ気がする。それは、知識の問題ではなく、意識の問題が大きいと思う。法的三段論法を丁寧に組み立てるところから始める必要があるし、それは、試験が終わるまで続けなければならない。
なお,本問では,立場によっては,下線部①の取調べが強制処分に当たり違法であるとする答案もあり得るところであり,その場合には任意取調べとして社会通念上相当と認められるかについては具体的事実を検討することなく結論に至ることになるであろうが,そのような立場による場合であっても,任意同行後の被疑者の任意取調べの限界に関して判断したリーディングケースとして昭和59年判例や平成元年判例があるのであるから,その法的判断の枠組みを十分意識しつつ論じなければならない。
→判例は判例だから大事なのではなく、法的検討に不可欠な存在だから大事なのである。
〔設問2〕では,自白に対する「自白法則及び違法収集証拠排除法則の適用の在り方」が問われているのであるから,自白法則の根拠及び証拠能力の判断基準と,証拠物に対する違法収集証拠排除法則の根拠及び証拠能力の判断基準を併記しただけでは不十分であり,両法則の自白への適用関係について,自説の立場を論じなければならないが,この点に関する問題の所在や理論状況を的確に理解して論じられている答案は少数であった。
→「的確に理解して論じ」ることは難しいかもしれない。しかし、「両法則の自白への適用関係について、自説の立場を論じなければならない」ことは、設問からわかったはずであるから、それに対する何らかの言及は必要であった。「間違いは禁物」だが、最低限問いには答えなければならない。
自白法則については,虚偽排除説,人権擁護説,違法排除説など,自説の根拠及び証拠能力の判断基準について相応に論じることができている答案が大半であったものの,違法収集証拠排除法則の自白への適用の在り方を示すことができている答案は多くなく,そもそも,両法則の自白に対する適用関係に関する問題意識を欠いている答案が少なからず見受けられた。すなわち,〔設問2-1〕では,自白法則と違法収集証拠排除法則の内容を漫然と並列的に述べるにとどまっているため,その記述から,後者が自白に適用されるのか否か自体が判然とせず,〔設問2-2〕では,事例に現れた事情を羅列してそれぞれの法則を脈絡なく当てはめているにとどまる答案が少なくなかった。また,自白とそれを録取した供述調書(自白調書)の関係についての理解を根本的に誤り,甲の自白については違法収集証拠排除法則を適用して証拠能力を否定し,自白調書についてはその派生証拠として証拠能力を否定するという,誤解に基づく答案が散見された。
→本問は、設問から解答すべき内容を把握できたか否かで差がついたように思う。その差を生んだのは、知識の差ではなく意識の差ではないか。「両法則の自白に対する適用関係に関する問題意識」は、知っていないと書けないという話ではないはずである。なぜなら、設問でそこを問われているからである。甲の自白を巡る具体的事実関係について自白法則と違法収集証拠排除法則をどう適用するかは、条文の使い方に対する理解と重なる問題である。
〔設問2-2〕では,下線部①の取調べにより得られた甲の自白の証拠能力について,〔設問2-1〕で述べた判断基準を具体的事情に当てはめて結論を出すことが求められているが,〔設問1〕と〔設問2〕における説明ないし論述の整合性が考慮されていない答案が少なからず見られた。すなわち,〔設問1〕では,取調べが適法だと結論付けておきながら,〔設問2-2〕では,取調べに重大な違法があるので甲の自白に証拠能力がないとする答案や,〔設問1〕では,取調べで偽計を用いることは刑事訴訟法上何ら制限されておらず問題がないと述べたのに,〔設問2-2〕では,本問の偽計が,虚偽の自白を誘発し,あるいは甲の黙秘権等重要な権利を侵害するので甲の自白に証拠能力がないとする答案,〔設問1〕では,約24時間の徹夜にわたる取調べが甲の移動の自由や黙秘権等の侵害に当たり違法だと述べたのに,〔設問2-2〕では,違法収集証拠排除法則を適用した上で,偽計を用いた点にしか言及しない答案など,〔設問1〕と〔設問2〕の関係についてどのように考えたのかが判然としない答案がこれに当たる。また,〔設問2-2〕で自白に対しても違法収集証拠排除法則を適用し,その証拠能力を判断するに当たり,「令状主義の精神を没却するような重大な違法」の有無を基準の一つとする答案が少なからず見られたが,取調べが違法とされる根拠を,偽計を用いたことに求めるのならば,違法の程度は,偽計が違法である理由と関連付けて評価される必要があり,昭和53年判例の表現を漫然と用いるだけでは説明が足りないと言わざるを得ないであろう。
→論理的に一貫した答案を書くことは、意外と難しい。普段から意識しておかないと出来るようになるものではないからであるし、知識があるだけでは実現できないことだからである。残念ながら特効薬はないが、そのような事柄だからこそ、司法試験で問われたのではないかと思う。司法試験は、あなたに地道な努力を求めている。
本事例で用いられたのは,本件住居侵入窃盗事件の当日の夜に甲が自宅から外出するのを見た人がいる旨の偽計であり,犯行自体の目撃に関するものではないが,その違いに的確に留意しつつ,長時間にわたり一睡もさせずに徹夜で取調べが行われ,言葉数が少なくなって疲労していた甲に対し,本問のような偽計を用いれば,たとえそれが犯行自体の目撃に関するものではなかったとしても,判断能力が低下して自白するしかないとの心理状態に陥りかねないことなどに言及し,甲の心理に与えた影響を考慮することができている答案が少数ながら見られた。
→当該偽計が「甲が自宅から外出する」旨の内容に過ぎなかったことを正確に認識できていた受験生はどれだけいただろうか。一事が万事である。ほんの少し慎重になれば気付ける部分にちゃんと気付けることが安定して合格答案を書けるようになるための礎である。
これに対して,このような偽計の内容・程度に全く言及することなく,偽計が用いられた点を漫然と指摘して甲の自白の証拠能力を否定する答案や,反対に,偽計が用いられる前に,長時間にわたり,徹夜で取調べが行われているという本事例の事情を度外視し,犯行自体の目撃に関する偽計ではないとの理由のみで甲の自白の証拠能力を肯定する答案など,事例に現れた具体的事情を多角的・総合的に考慮することができていない答案が少なくなかった。偽計を用いて得られた自白の証拠能力に関して判断した,最大判昭和45年11月25日刑集24巻12号1670頁は,「偽計によって被疑者が心理的強制を受け,その結果虚偽の自白が誘発されるおそれのある場合」には,その「自白はその任意性に疑いがあるものとして,証拠能力を否定すべき」だと判示しており,その判断においても,偽計が用いられれば直ちに自白の任意性に疑いがあるとされているわけではない。検討に当たっては,当該事案において,いかなる偽計が用いられ,それが捜査官の他の発言や被疑者の置かれた状況等ともあいまって,被疑者の心理に果たして,またいかなる影響を与えたか,具体的に考慮することが必要であろう。
→「事例に現れた具体的事情を多角的・総合的に考慮することができていない答案」になってしまうのはどうしてであろうか。これは、つまり、「あてはめが甘い答案だった」ということである。あてはめが上手くいかなかったと聞くと、多くの受験生が「演習不足」を気にするが、そもそも、法知識の不足が原因だったのではないか。あてはめは、規範に対する理解がないと充実しない。だから、あてはめを充実させるためには、あてはめの練習とともに、規範への理解を深めるインプットにも努めなければならない。
※間違いを間違いで終わらせないABprojectの個別指導です。