令和2年刑事系第二問の採点実感を読んでみた~その3~ 教祖を探していないか?
教祖は困ったとき助けてくれませんよ。
どの分野においても「教祖」的な存在がいるように思います。
司法試験・予備試験界にも少なからずいるでしょう。
「答え」を与えてくれる人は、ありがたい存在なのでしょうか。
「自分を伸ばしてくれる人」が必要ではないですか?
(赤い字は筆者)
※その1、その2もご覧ください。
まず,〔設問1〕については,任意同行後の被疑者に対する任意取調べの適法性について判断した最決昭和59年2月29日刑集38巻3号479頁(以下「昭和59年判例」という。),最決平成元年7月4日刑集43巻7号581頁(以下「平成元年判例」という。)など,法科大学院の授業でも取り扱われる基本的な判例を正確に理解し,その判断枠組みを意識しつつ,事例中から抽出した具体的事実を分析・検討して論じれば,説得的な論述が可能だと思われる。
→「条文で不明な部分を判例で補う」という判例法の基本的な機能を意識しながら、上記判例を学んでほしい。くれぐれも「判例だから覚えよう!!」というような条文とのつながりを意識しない学習はしないように。それでは、使える知識として整理できないからである。
〔設問2〕の,自白に対する違法収集証拠排除法則の適用の在り方については,この問題に対する判断を示した下級審の裁判例はあるものの,最高裁判所の判例はなく,受験生にとって必ずしも十分な勉強が及んでいない論点だったかもしれない。しかし,自白法則及び違法収集証拠排除法則はいずれも証拠法における基本原則であり,両法則に関する正しい知識や理解があれば,自白と証拠物との異同や両法則の根拠・証拠能力の判断基準等に遡って考えることにより十分解答が可能であろう。また,〔設問2-2〕において,甲の自白に違法収集証拠排除法則を適用する際には,〔設問1〕における,下線部①の取調べの適法性に関する論述内容との整合性に留意しながら論じる必要がある。
→「『基本原則』くらいは知っておくべきだ」と言われても仕方がない。司法試験を受ける段階になってこれを知らなかったのであれば、もう合格は諦めた方がいい。そして、「自白と証拠物との異同や両法則の根拠・証拠能力の判断基準等に遡って考えることにより十分解答が可能であろう」とのことである。既知の知識をどう使うか、考えるためにはどうすればいいか、は意識して学習しないと身につかない。また、多くの人にとっては、知らないと出来ないことでもあろう。試験委員的には「普通に勉強していればできるでしょ?」という感覚かもしれないが、現実はそうでもないようである。
〔設問3〕については,類似事実による犯人性の証明に関して判断した最判平成24年9月7日刑集66巻9号907頁(以下「平成24年判例」という。),最決平成25年2月20日刑集67巻2号1頁(以下「平成25年判例」という。)といった基本的な判例がある。ただし,本問は,これらの判例の事案とは異なり,未だ起訴されていない余罪を類似事実として犯人性の証明に用いようとした事案であり,その意味で,判例に関する理解の具体的事案への応用力を試す側面を有するものである。両判例が示している判断基準だけでなく,その理論的根拠を正確に理解していれば,X方における事件という類似事実が,本件住居侵入窃盗事件についての犯人性の証明に用いられる場合の推認過程を意識して分析・検討し,説得的に論述することが可能であろう。
→「ある条文をこの事例に適用できるか?」という問題は、多くの受験生が得意とすることのようである。一方、「ある判例をこの事例に適用できるか?」という問題は、多くの受験生が不得意とすることのようである。その原因としては「判例自体知らない」ということだけでなく、「判例とは何なのかを知らない」ということもあると思う。「判例とは何なのかを知らない」がために、記憶が整理されず、理解が進まないのではないかと思う。あくまで私自身の経験上の話である。
2 採点実感
各考査委員の意見を踏まえた感想を記す。
⑴ おおむね出題の意図に沿った論述をしていると評価できる答案としては,次のようなものがあ
った。
まず,〔設問1〕では,被疑者に対する任意取調べの限界に関して昭和59年判例の示した,「強制手段によることができ」ず,任意捜査としても,「事案の性質,被疑者に対する容疑の程度,被疑者の態度等諸般の事情を勘案して,社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において,許容される」という二段階の判断枠組みについての正確な理解を示し,自説の立場から強制処分の意義や任意取調べの適法性に関する判断基準を正確に提示した上で,下線部①の取調べによって制約される権利・利益の内容を意識しながら,事例から必要な具体的事実を抽出し,強制処分の意義に照らして本件取調べが強制処分に当たるのかを検討し,これに当たらないとした場合に,本件取調べが社会通念上相当と認められる方法,態様及び限度で行われたと評価できるのかについて,判例の示す,「事案の性質,被疑者に対する容疑の程度,被疑者の態度等」の判断要素に照らして事例に現れた具体的事情を的確に拾い上げながら論じ,説得的に結論を導き出している答案が見受けられた。
→昭和59年判例の知識等を基に法的三段論法の形で適切に論述を展開できたか。比較的簡単な問題だと思われるが、それは、「手を抜いてもいい問題」ということではない。むしろ、ここで得点しないと合格答案を作成することは厳しいものとなるし、ここで十分に得点できない者が、残りの設問で挽回できる実力を有するとは考え難い。
〔設問2-1〕では,自白法則について自説の根拠及び証拠能力の判断基準を述べるとともに,違法収集証拠排除法則については証拠物に関する最判昭和53年9月7日刑集32巻6号1672頁(以下「昭和53年判例」という。)に関する正確な理解を踏まえて,自白に対する同法則の適用の有無及びその根拠を示し,適用されるとした場合には証拠能力の判断基準及びその根拠を含めて自説の立場を論じ,両法則の適用関係を明らかにした上で,〔設問2-2〕では,〔設問2-1〕で論じた自説の立場から,〔設問1〕における下線部①の取調べの適法性についての論述内容との整合性に配慮しつつ,事例に現れた具体的事情を的確に拾い上げ,各自の理解に即して,適用されるべき法則を適切に当てはめて結論を述べている答案が見受けられた。
→ポイントは上記の通り。
〔設問3〕では,平成24年判例及び平成25年判例に関する正確な理解を示しつつ,類似事実による犯人性の証明が許容されないとされる場合の根拠や,許容されるとすればその根拠及び判断基準を述べた上で,事例に現れた具体的事情を的確に拾い上げて当てはめ,Wの証人尋問請求の可否の結論を説得的に導いている答案が見受けられた。そのような答案の中には,上記判例の示す判断基準を満たすことによって,余人による犯行の可能性が著しく下がるために,実証的根拠の乏しい人格評価を介することなく経験則により犯人の同一性を推認できることから,類似事実による犯人性の証明が許されると指摘した上で,その基準を事例に対し適切に当てはめているものが一定数あった。
→本問がWの証人尋問請求の可否の問題だということを意識して結論まで導いた受験生はどの程度いたのだろうか。主に論ずべき点は「類似事実による犯人性の証明の可否とその判断基準」であるが、それでも、設問で何を問われているのか?という点は、常に意識していなければならない。試験本番で合格答案を作り上げるためだけではない。論理的思考力の養成に不可欠だからである。何となく問題を把握し、何となく論点に言及し、何となく答えを出していないか。問いを正確に把握し、それに答えるために必要十分な論述をしようと努めてほしい。
⑵他方,そもそも,法原則・法概念の意義や関連する判例の判断基準等についての記述が不十分・不正確で,当該項目についての理解が不足していると見ざるを得ない答案や,法原則・法概念の意義や関連する判例の判断基準等として記述された内容自体には問題がないものの,これらを機械的に暗記して記述するのみで,なぜ法原則・法概念がそのような意義を持つものとされ,また,判例においてそのような判断基準が採用されているのかを,当該法原則・法概念の趣旨や当該判例の理論的根拠に遡って論述することができていない答案,具体的事実に対してそれらの法原則・法概念や判断基準等を的確に適用することができていない答案,具体的事実に対する洞察が表面的で,その抽出が不十分であったり,その事実の持つ意味の分析が不十分・不適切であったりする答案が見受けられた。
→この部分は、受験生の知識不足・理解不足を指摘するものである。しかし、推測するに、これは、刑訴法分野だけの問題ではない。十分な学習時間がなく刑訴法分野の学習が未了の者を除けば、このような状態に陥ってしまう受験生には、法学習全体に関わる問題があると思われる。見るべきものや考えるべきものをきちんと認識しないまま何となく学習しているのではないだろうか。同じ教科書を使っていても、身につくものは、各々違うものとなりがちである。意識や認識の違いがあるからである。せっかく努力するなら身につく努力をしてもらいたい。それは、ほんの少しのきっかけと心がけから始まるものである。
※ABprojectは、宗教ではありません。